私は雨女の仕事をしている。
外出時に雨に見舞われやすい女、「あのコと出かけるといつも天気が悪い」とまわりから迷惑にされているあの雨女だ。私はその雨女を仕事にしている。
どういうことか端的に言うと、雨が降って欲しいと望まれる場所へ行き、天性の雨女力を使って雨を降らせる仕事だ。雨女の派遣会社に所属し、依頼されたらそこへ出向く。
普段はオフィスレディーをしていて、これは週末の副業。雨女として仕事をするのは月に一度か二度程度、夏の時期は多少増えるのだが本業にするほどの収入はない。しかし、農地など雨が不可欠な場所で極めて重要な役割を果たすのが雨女、農家の人たちなどに感謝されるたびにこの仕事の意義を感じている。本来は皆に嫌がられるはずで自分自身でも嫌気がさしていた雨女の宿命が、人の役に立って喜ばれる力になるということはありがたいものだ。
雨女の派遣会社に入るためには難関があった。過去の雨女エピソードを事細かに聞かれる面接、また会社が設定したシチュエーションで雨を降らすことができるかといった試験などがあり、抜きん出た能力を持っていると認められなければ登録されない。ここには雨女のエリートが集まっているのだ。
この仕事を始めて知ったのだが、雨女は三つのタイプに分かれる。それまで晴れていたはずなのに家を出た瞬間に雨模様になるタイプの雨女、これはフリダスと呼ばれる。またアメマシタイプと言って、「小雨かな」と思って気構えずに外出するとその雨量や風の勢いが徐々に増して大きな傘が必要になるという雨女もいる。私はここに入って、アメマシだということがわかった。通常はこのフリダスとアメマシが二名一組で現場に向かう形をとっている。
フリダスとアメマシは依頼された場所に一緒に出かけ、雨が降るまでそこで過ごす。そして要望される降水量になったら終了というシンプルな仕事だ。現地に出向くだけの簡単な仕事に見えるが、実はそうではない。雨女は外出するたびに雨に降られるわけではないからだ。そうであったらこの世は毎日雨の世界になる。
晴れて欲しい時や、天気が崩れないようにと願った時に限って雨が降るのが雨女。そのため、雨を降らせたいと思って現地に出向くと失敗する。
私たちは「せっかく二人で遊びに出かけたのに雨に降られて楽しめなかった。残念! くやしい!」というシナリオにそって動かなくてはならない。ガイドブックを片手に現地での観光や散策を楽しもうとしているといった体裁をわざわざつくって進めなくてはならない面倒な仕事なのだ。以前、「このあと彼氏と予定があるので早く雨を降らせて帰りたいんです」と言っていた女子大生のフリダスと組むことがあったが、やはりその日は降らなかった。
雨を降らせたいのに決して降って欲しいと思ってはいけない。気持ちづくりがとても難しい仕事なのだ。
「心に折りたたみ傘を持たないこと」。社長が私たちによく言う言葉だ。
雨女には三つのタイプがあると言ったが、もう一つのタイプに当てはまる雨女は、現在日本に一人しか存在しない。過去に遡っても、雨女の派遣がこの国で始まってからの三十年間で三名しかいないそうだ。その雨女はアレルと呼ばれる。伝説の雨女だ。
アレルとはその名の通り、外出すると天候が大きく荒れるというタイプの雨女で、フリダスやアメマシとは比較にならない力を持っている。雨女派遣業の会社は全国に複数あるが、そのアレルはどこにも所属していないため、各会社はどうしても力が必要な時にだけコンタクトをとって依頼するのだ。
普段は主婦として日常生活を送っている彼女。自身の生まれた日を始め、入学式、修学旅行など大事なイベントごとにはもれなく台風などの荒天に見舞われてきたという他の雨女を圧倒するエピソードを持っている。結婚式で投げたブーケが突然の暴風に飛ばされ誰もとることができず、翌日にその隣町で見つかったという信じられない話も聞いた。雨を降らせすぎる雨女ということで、よほどのことがない限りは仕事を依頼されることがないとのこと。
「雲をペットのように飼っていて、アレルの住む町はいつも曇っている」や「アレルが何人もいると大きな天災につながるため、一人しか存在できない。自分より強大だと認める者が現れた時に自然とアレルの能力が消えるらしい」など雨女の間で様々な噂が流れているが、その真相は誰も知らない謎の存在だ。
私はアレルに一度だけ会ったことがある。深刻な干ばつに襲われた地域での仕事だった。
その時は特別対策として計三十名にも及ぶフリダスとアメマシが入れ替わり立ち替わり派遣されたのだが、三日経っても全く雨が降らなかった。この状況の中「アレルに頼むしかない」という社長の判断で、彼女がついに呼ばれたのだ。
雲一つない青空の下、社長が運転する黒のワゴンから降りてきたのは恰幅(かっぷく)のいい女性だった。肩幅が広く背も高い。羽織っている真っ赤なレインコートのフードを目深にかぶっていて、そこから流れ出るパーマのかかった真っ黒な髪は見えるものの顔は窺い知ることができない。それはまるでガウンを着て入場するプロレスラーのような雰囲気だった。
干からびた大地を前に腕を組み仁王立ちするアレル。固唾を呑んで見守る私たちを背に、真っ青な空をにらみつけること十分、アレルの頭上に徐々に雲が集まってきた。何度も大雨を降らせてきた私でも見たことのない真っ黒で厚みのある雲だ。そしてその雲が空を覆い尽くして、太陽の光を消し去った。ポツリポツリと雨が落ちてきたかと思う間もなく、大粒の雨がザーッと降り始めてすぐに豪雨。次第に風も強くなり、私たちはその場に立っているのも困難になった。
アレルはくるりと私たちの方を向いて「この嵐は今日一日続くよ。早く帰りな」と一言告げるとのっしのっしと歩き去って行く。ワゴンに乗り込み、ドアを閉める直前に残した「私の前で、何本の傘が骨だけになったと思ってるんだ」の言葉に、私は心底しびれた。
彼女は間違いなく最強の雨女だ。
それから三年後。
私はアメマシと兼任して優秀な雨女をスカウトする担当になり、それを機にこの仕事を本職とした。雨女のプロフェッショナルになるということは簡単に覚悟できるものではなかったが、現場でのやりがいを常々感じていて思い切って決断したのだ。
アレルが引退したという話を社長から聞いたのはちょうどその頃だった。
「彼女に何があったんだ」と正直とても寂しい気持ちだった。あの日以来、私はアレルに強く憧れるようになり、また会いたいと願っていたからだ。一時の副業のつもりだった雨女の仕事を本格的に続けていこうと決心したのは、あの時、彼女の降らせた雨が多くの人を救ったことも大きく影響している。
しかし、引退の要因が彼女の息子の結婚式だと聞いてすぐに納得した。どんなに優秀な雨女でも自分をコントロールできないことがある。心から晴れることを願ってしまう日があるのだ。そうすると当然雨が降る。雨が降るだけではなく、嵐を呼んでしまう彼女の心境を考えると心苦しくなった。きっと息子の結婚式の日を荒天にしてしまい、自責の念で引退を決意したのだろうと想像した。私も同じ雨女としてその悲哀がわかる気がしたのだ。
しかしそうではなかった。結婚式の日は晴天だったというのだ。どういうことかと聞く私に社長は続けた。
アレルは息子の結婚式に出席しないことを決めていて、当日は頑なに家から出ようとしなかったそうだ。家族が説得しても、決してその場から動こうとしないアレル。そんな彼女の手を力強く引っ張り、玄関から連れ出した人物がいた。ウエディングドレス姿のまま式場からアレルを迎えに来た花嫁、息子の結婚相手だ。
アレルの体が外に出た瞬間に黒い雲が空を覆いだし、ポツリポツリと雨が落ちてきた。恐れていたことを目の当たりにした彼女は泣き叫んだそうだ。あのアレルが取り乱していたのだという。「あんたは私の力を知らないから」と鬼の形相で迫るのをいなすように笑みを浮かべ、まっすぐ空を見上げる花嫁。すると雲が散り、そこから太陽の強い光が差し込んできた。そしてすぐに雲一つない晴天になったそうだ。目の前の光景に唖然(あぜん)としながら、その場に膝をついたアレルに向かって花嫁が言った。「私は最強の晴れ女ですから」。
その時、彼女からアレルの力が消えた。
今は息子夫婦と暮らしていて、生まれたばかりの孫と穏やかな日々を過ごしていると聞いた。彼女がアレルの宿命から解放されて本当に良かったと思う。ずっと苦心してきた雨との関係を断って、これからは自由に生きることができるのだから。しかしその反面、晴れ女に負けてしまい、もう最強の雨女としての姿を見ることができないということに、私は何とも言えない寂しさを感じてしまった。
雨女はこの世界に必要なんだ。私はこれからも雨女として生きていきたい。心の中で、なぜだかそんな思いが強くなった。
新たなアレルを探して、私は今日も曇り空の町を歩いている。
1980年、福岡市博多区生まれ。二女の父。
グラフィックデザイナー、雑誌編集者、アートディレクターとして仕事する中でコピーライティングを学ぶ。本作は初めて執筆したショートショート作品。
第1回という重要な機会での受賞を光栄に感じるとともに、大変恐縮しております。優秀賞に決まったとご連絡をいただいた日は、前後の夏日が噓のような激雨。壊れた傘を眺めながらしみじみと喜びがこみ上げたとともに、「雨女」と重なる偶然をなんだか不思議に感じました。作品のモチーフとなった妻にも感謝。これからもキテレツな世界を愛し、文字にすることを楽しみたいと思います。この度は誠にありがとうございました。
ネーミングセンスが圧倒的で、候補作の中でも一人抜きんでていました。途中でさりげなく差し込まれるセリフもウィットに富んでいて、思わずニヤリとしてしまいます。ただ、結末がやや物足りず、欲を言えばその点だけ、もうひとひねりあればと感じます。しかし、別の作品もぜひ読んでみたいと強く思わされた作品でした。
一読した印象で女性の作品と思い込んでいたところ、後に男性と知り驚きました。ではなぜ「雨男」でなかったのかは物語が進むにつれてわかりますが、主要な登場人物が皆女性でもまったく違和感なく読み進められたところに確かな筆力を感じます。雨女のタイプ分けや社長の言葉など、設定がしっかりしていてユーモアもあり、終始楽しんで読むことができました。作中、最も強烈だったのはアレルのセリフ「私の前で、何本の傘が骨だけになったと思ってるんだ」。これには主人公同様に選者もしびれずにはいられませんでした。惜しむらくは最後の数行がふわっとしたこと。アレルがいなくなったことで問題が起き始めるとか、「晴れ女」との覇権争い予感させるなど物語の流れが途切れない工夫があるともう一段レベルが上がる作品だと思いました。今後に期待です。