第3回 ショートショート大賞

木下グループ

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第2回優秀賞

「今すぐ寄付して。」滝沢たきざわ 朱音あかね

 大抵の人が、端末画面の最も使いやすい位置に配置しているであろう常用アプリ、Footbook(フットブック)。足跡を模したその赤いアイコンの右肩に、十字マークのアラートが点滅していると気づいた途端、心臓がどくんと鳴った。緊急時の呼びかけを知らせるサインだ。
(誰だろう……)
 どうか近しい人ではありませんように。フレンド一覧の顔を思い浮かべ、僕は祈りながらタップした。はたして、ポップアップされたのは、直属の上司がシェアする告知ページだった。
『母が余命半年と告知されました。皆様の寄付を募ります』
 僕が肩を落としたのは、悲しみや同情からでは決してない。上司の母という、決してスルーできない関係性の重たさのせいだ。
 急いで別画面を開き、「上司 母 寄付 相場」で検索し、ざっと調べて元の告知ページに戻ると、僕は早速コメントを入力した。
『お察しします。心ばかりですが寄付させていただきます』
 即時反映されたコメントが一番乗りであることを確認し、僕はFootbookメニュー欄の『余命の寄付』をタップすると、プルダウンから『三日間』を選んだ。この数値が適切かどうか一瞬ためらい、一呼吸置き、ようやく『OK』を押す。
『島さんが三日間の寄付をしました』と表示されると、まるで僕の逡巡を見守っていたかのように、上司の『いいね!』マークがすぐついた。
 そうして僕の人生から、三日間が──最期の日々がまた消滅した。

 人間の命がデジタル化され、一括管理されるようになって早や四半世紀。個々の寿命は人道上の理由から通常は明らかにはされないが、病気等で余命が一年を切った場合のみ、Footbookから告知メッセージが届くように、法で定められている。
 寿命のデジタル化、そして余命の告知は、それを互いに〝融通〟し合う慣習を生んだ。ただし金銭の授受は禁じられているため、人々はFootbook上に作られる告知ページで、繫がりのある人たちに余命の寄付を呼びかける。そしてフレンドたちは〝任意〟で自らの寿命を削り、差し出すのだ。
 元は単なるSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の一つに過ぎなかったアプリ。それに人々がこんなにも群がり、多数の繫がりを求め続けるのは、自分が余命わずかだとわかったときの保証を求めているからなのかもしれない。
 自身の〝魂の緒〟を握る鍵として、Footbookは今日も、人々の頭上にずしりと鎮座し続けている。

「えっ、また?」
 今回の寄付を知った妻は心細げにそう言い、そばにいた一歳の娘をきゅっと抱き寄せた。
「だいたいあなたは、人付き合いが多すぎるのよ……!」
 極めて内向的な妻は、日頃Footbookにログインすることはほとんどない。当然登録しているフレンドもごく少数で、今時珍しいアナログな生き方を貫いているだけに、僕の寄付行為が安易に見えるようだ。
「そもそも、今までいったいどのくらい寄付したの?」
「……わからない」
 自分が寄付した総日数をFootbook上で確認することはできるが、僕はあえてそれを非表示にしている。どのくらい命を切り刻んだのか、はっきりと知るのが怖いからだ。
「こういうのはお互い様だよ。万が一、自分や家族が余命わずかになったときには、逆に助けてもらえるんだから」
「でも、突発的な事故や急病ですぐ亡くなってしまう場合は、告知の対象外なんでしょう? あなたはただ、戻るあてのない寿命を闇雲にばらまいているだけなのかもしれないのよ?」
 妻の真剣な顔と、それを不安そうに見上げる幼い娘の表情。思わず言葉に詰まる僕に、妻はさらに念押しした。
「ねえお願い。寿命をこれ以上、義理や義務感でやりとりしないで。あなたが寄付した三日間は、私やこの子にとってもかけがえのない、あなたと最後に過ごすはずの大切な三日間なの」

 そんな妻の主張が一変したのは、それから間もなくのことだった。仕事から帰ってきた僕に、妻が青ざめた顔で見せた画面は、Footbook運営事務局からのメッセージだった。
『あなたの余命が一年を切りました』
 メッセージ内には、妻が現在患っている病状の詳細とともに、『余命の寄付ページを開設する』のボタンが大きく点滅している。
 動揺を隠せずがくがくと震える妻。僕もどうしようもなく、そっと彼女の肩を抱いた。
「落ち着いて。明日病院に行こう。それから、寄付ページを開設しよう」
「無駄よ。私はフレンドが少ないし、今まで寄付なんて一度もしたことないから……」
「僕がついてる。僕が君の寄付ページを、たくさんいるフレンドにシェアする。きっとたくさん集まるから安心して」
 妻は少しだけ微笑みを見せ、僕の肩に頭を預けた。今まで見たことのない、殊勝でいじらしい仕草だった。

 妻が娘と眠ったのを見届けて、僕は自分の端末をチェックした。Footbookのアイコンには、やはり点滅する十字マーク。なぜか「2+」の数字が並んでいる。
(余命通知が二件?)
 他にも誰か告知されたのだろうか。恐る恐るタップすると、そこには妻と、娘のプロフィール写真とが仲良く並んでいた。
 そして、信じられないメッセージ。
『あなたの配偶者と長女の余命が、それぞれ一年を切りました』
(妻と……娘?)
 身近な家族が同時に余命宣告される──そんなことがあり得るのだろうか。
 愕然としながらメッセージをよく読み直すと、今回のケースではシステム上の特別な配慮として、妻には娘の余命通知がされていないことが記載されていた。
 僕はしばらく考え込み、改めて自分のフレンド一覧を見つめた。千人に近い人数。今までコツコツと増やしてきた結果、一般的な会社員としては多い繫がりを確保していると言っていいだろう。
 だが、仮に多く見積もって、このフレンド全員が三日間ずつ寄付してくれたとしても、合計日数は八年分ほどにしかならない。そして何より、妻と娘への同時告知という悲劇に同情はしてくれても、一度の寄付日数を通常の倍にするというわけにはなかなかいかないはずだ。
(同時に寄付を募れば、妻と娘とでどうしても分散してしまう)
 妻と娘、どちらもわずか四年ずつ余命が延びたとして、それがいったいなんになるというのか。現在一歳の娘は何もわからず、五歳の可愛い盛りでこの世を去ることになる。
(そんな残酷なこと、決してあってはならない……!)
 唇を嚙み締め、目の前の壁のフォトフレームを見つめた。
 恋人時代の若い妻、ウェディングドレス姿の妻、ハネムーンではしゃぐ妻、大きなお腹を抱える妻、そして娘誕生の瞬間、美しい涙を流す妻。そこには、彼女の人生で最高に輝かしい瞬間が誇らしげに飾られてある。
 意を決し僕は、自分のFootbookの投稿を妻には見られないように設定した。そして、保護者権限を使って娘の寄付ページを作成し、それを、コメントと共にシェアした。
『まだ一歳の娘が、余命一年と告知されました。悲しくてなりません。どうしても彼女が育ちゆく姿を見たいのです。どうかどうか、皆様の力をお貸しください!』

 その後入院した妻は、術後もさほど衰弱した様子はなかった。
「手術が成功したのはあなたのおかげね。きっと……たくさんの方が寄付してくれたんでしょう?」
 深夜の病室に立ち寄った僕に、妻は微笑み、じっと見つめてくる。本当の表情を隠し、僕も微笑み返す。
 あれから妻には、Footbookにログインさせていない。「病状に差し障るといけない。僕が代理でチェックするから」と安心させたのだ。もちろん、彼女の余命告知ページは作らないままだ。
 娘への寄付は予想よりも集まっている。同じ病気で息子に先立たれたという著名人のシェアをきっかけに、現時点でなんと十五年分が上乗せされた。でも僕はまだ満足しようとしなかった。
 さらなるシェアや寄付を募るために、僕はFootbookのフレンドを増やし続けた。そして、娘の日々の可愛い表情や成長ぶりを写真や動画におさめ、告知ページをこまめに更新している。
(妻よ、すまない。あの子の花嫁姿を見届けるためだ……!)
 手術は一定の成果を収めたものの、完治には至らず、彼女の余命は変わっていない。罪悪感に歯をくいしばりながら、僕は病室を出ようとした。
「じゃあまた明日来るよ。ゆっくり休んで、早く元気になってくれ」
「……ねえ、あなた」
 なぜか僕の背中に、闇から放たれた矢がどすんと命中したような気がした。
「プロポーズのとき、私の父に言ってくれたわよね? 僕の一生を賭けて、私を守る。幸せにするって」
「あ、ああ……」
 思いがけない言葉。急いで態勢を整え、僕は答えた。
「そうだったね。その気持ちは今でも変わらないよ」
「そう……ありがとう」
 愛情を言葉で確かめ、安堵したのだろう。暗い病室内に、妻の深いため息が響き渡った。

「さあ、もうすぐママが帰ってくるよ」
 ぐずる娘を抱き上げる。退院手続きと迎えを申し出てくれた義父に甘え、僕は娘とともに自宅で妻の帰宅を待っていた。
 窓の外にタクシーが近づき、僕は娘とともに玄関に出た。義父に支えられながらも妻は、しっかりした足取りで階段を上ってくる。
「……ただいま」
 万感のこもった第一声を発し、妻は娘に両手を差し出した。娘は僕の腕の中から身を乗り出し、妻へと必死に手を伸ばす。その健気さに思わず涙しそうになりながら、僕は妻に言った。
「……おかえり。さあ、ママにバトンタッチだ」
「ママー!」
 娘を妻に託す。腕がその重みから解放された瞬間、急に、胸に激痛が走った。
「えっ……!」
 息ができない。僕は胸を手で強く押さえ、膝から崩れ落ちた。もう片方の手で身体を支え、妻たちを見上げて懇願した。
「きゅ、救急車を……呼んで……」
 娘をしっかり抱きしめながら、僕から目を逸(そ)らす妻。逆に義父は、鋭い目で僕を見下ろしている。二人とも動こうとしない。
「ど……どうして……?」
 意識がブラックアウトする直前、娘の他愛ない笑い声が、最後に耳に残って──

『彼は、娘の花嫁姿を見ることを楽しみにしていました。彼の遺志を、今度は私が引き継いでまいります』
 夫の死後、娘への寄付を呼びかけるページは、私が更新するようになった。夫の急死に見舞われながらも、娘の余命に抗い続ける悲劇の未亡人として、私は世間の同情を集めている。
 余命を天秤にかけ、私より娘を優先した夫を憎む気持ちは一切ない。生前の彼が行なったたくさんの寄付は、結果的に娘を生きながらえさせてくれている。
 そして、寄付分を差し引いた彼の余命──残りはたった二十年だったが──は、無事に私のものとなった。
 夫を見送ったあと、父はしみじみとこう言ったものだ。
「彼のプロポーズの言葉を、Footbookに公的に記録していてよかったよ。最後におまえが口頭で確認するだけで、配偶者間での余命贈与が可能になったんだからな」
「……」
「あの男と同じように、俺も自分の娘を優先しただけだ。後悔はない」
 その言葉に頷きつつ、私は寂しく微笑んだ。


滝沢 朱音(たきざわ・あかね)

京都市在住。立命館大学卒業。
2014年、小説コンテストサイト「時空モノガタリ」においてショートショートという形式に魅せられ、初めて小説を書く。音楽が好きで、曲から着想を得ることが多い。他のショートショート作品に「このP-スペックを、唯、きみに。」(幻冬舎パピルス掲載)など。

受賞のことば

この度は優秀賞に選んでいただき、ありがとうございます! 小説を書いてみたいと思い立った3年前、いちばん最初にショートショートという形式に出合えたことは、私にとってとても幸運でした。限られた文字数で展開を考えるときのスリリングさにいつも魅了されますし、書き上げられた瞬間の満足感もたまらなく好きです。これからも日々精進し、書き続けていきたいと思います。皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。

講評

田丸雅智(審査員長)

命をやり取りするというアイデア自体は珍しくありませんが、現実世界の「Facebook」と掛けて次々と繰りだされるアイデアには脱帽しました。「現実に存在するものに掛ける」という手法は、やり過ぎると強引さを伴うことも多いのですが、筆力ゆえにまったく感じさせません。結末にもうひとひねりあってもよいかと感じましたが、物語の展開がある程度推察できても読ませられる、とてもおもしろい作品でした。

キノブックス編集部

今しか書けないテーマを非常にうまく活用できた好例といえるだろう。こういうアイデアは得てして読み手の興を削いでしまうが、SNSの機能や特性が無理なく内容に生かされているのでリアリティを伴って読めるし、文章もよどみなく書かれていて純粋に物語を楽しむことができた。この先、こんなことが実際にできるようになったらと思うとぞっとしてしまうが、このアプリが巻き起こす人間ドラマでいくらでも作品が書けそうだ。ただ、テーマが普遍性に欠けているだけに、ほかにどんな作品が書けるか、今後に期待したい。

過去の受賞作

第2回受賞作

第2回ショートショート大賞の受賞作です。大賞1作品、優秀賞3作品が選ばれました。以下から受賞作を読むことができます。

第1回受賞作

第1回ショートショート大賞の受賞作です。大賞1作品、優秀賞3作品が選ばれました。以下から受賞作を読むことができます。

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