第3回 ショートショート大賞

木下グループ

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第2回大賞

「桂子ちゃん」洛田らくだ 二十日はつか

 よりによって今日、『桂馬(けいま)』になっちゃうなんて。
 思わずため息が出た。毎月の事とはいえ、流石(さすが)に気が滅入った。
 月に五日間、私は『桂馬』になる。小学校の頃、女子だけ体育館に集められて保健の先生から説明された通りだった。
「大抵の場合は『歩(ふ)』なんだけど、中には『桂馬』になっちゃう子もいるの。みんなのお母さんにもいるんじゃないかな」。この話を聞いた時、友達と思わず吹き出してしまったのを覚えている。
 でもまさか自分がその『桂馬』だなんて。

 十四歳の頃から、毎月くる『桂馬』がいやでしょうがなかった。友達とトイレに行く時も、資料室まで大判の地図を取りに行く時も、その期間はずっと私は『桂馬』の動きしかできなかった。バカみたいに、ホップ、ステップ、ジャンプ。当然、みんなからは笑われるし、何より柱に頭をぶつけて私の頭はいつだって生傷(なまきず)が絶えなかった。だから、なのか。私は不登校になった。もちろん、『桂馬』の時だけ。たまにクラスの友達がプリントを届けにきてくれるんだけど、顔を合わせたくもない。普通に『歩』のみんなが羨ましかった。「いいじゃない。みんな違ってみんないい、そうでしょう?」なんて母は慰めてきたけど、そもそもお母さんは『歩』なんだから、私の気持ちなんて分かるわけないじゃない。まだ女の体になっていなかった妹は困ったように私と母のやりとりを見ていた。
 ふん。どうせ、あんたも『歩』なんでしょ。お姉ちゃんはね、神様に見放されて、これから先、五十になるまでずっとホップ、ステップ、ジャンプで生きなきゃいけないんだよ。
 こうして誰にも理解してもらえない私は反抗期も相まって、ますます荒(すさ)んでいった。
 こういう時、きっと他の女の子だったらバンドとか組んじゃうんだろうな。
 髪をツーブロックの緑色にして、肩にサラマンダーの刺青(いれずみ)をいれて、客に汗で汚れたピックを投げながら世の中に反吐(へど)を吐いてる、あの感じ。でも、そうした子たちがバンドを組めるのは、共通の怒りだとか、苦悩だとか、性癖でもいいから、とにかく何か通底しているものがあるからで。そうじゃなきゃバンドなんて組めない。その点で、私は一緒に悩んで、ギターを搔き鳴らしてくれるような友達はいない。というか、そもそもバンドが組みたいわけではない。お金がかかるし。
 だから、っていうのも変だけど、私は高校を卒業するとすぐに東京の印刷会社で働き始めた。こんな片田舎じゃなくて、東京だったらきっと私と同じ『桂馬』に悩む仲間がいるんじゃないかって。でも、大外れ。高卒の一般職で入ったその会社の同期の女の子はみんな大卒で、しかも『歩』ですらなかった。名門私立を卒業してきた子たちは、『金』とか『銀』。つまり、たとえ「その期間」でも五日間ほとんど支障をきたさない子たちばっかりだった。だから余計に落胆した。そしてその落胆はいつしか私の中で蟻塚みたいに膨らんでいって、汚い嫉妬の澱(おり)の底で敵意に変わっていった。
 すると、ある変化が起きた。
 私がその変化に気づいたのは入社してから三カ月目。つまりは三回目の『桂馬』を迎えた日だった。朝から沈鬱な気持ちを抱えながら、『桂馬』の足取りでバス停まで向かう。いつもは電車なんだけど、『桂馬』の日はバスになる。だって『桂馬』だと駅の改札で必ず引っかかって他の人の迷惑になるから。その日は朝から大事な会議があるとかで、一般職の私は総合職で入ったあの『金』やら『銀』の子たちのために資料を印刷しなくてはならなかった。
 なんで、私だけ。『桂馬』じゃなければ、私だってあの子たちみたいにしっかり大学に入って、総合職で入社して、会議にだって参加させてもらえたのに。なんでよ。
 私が一体、何をしたっていうのよ。
 頭の中がぐちゃつく。
 子供の残したプリンアラモードみたいに。
 バスから降りて、会社の前まで何とか来ると怒りに任せて渾身(こんしん)のホップ、ステップ、ジャンプ、とはならなかった。最後のジャンプは斜め前ではなくて、「普通の日」みたいに真正面に着地できた。「あれ」何が起きたのか分からず、思わずその場に立ち尽くす。
「邪魔だよ。桂子」後ろから同期で入った慶應卒の男が、一番言われたくないあだ名で私を呼んだ。思わず振り返って睨(にら)み付けたんだけど、その瞬間にまた驚いた。「私、今、後ろ向けたよね?」「はあ?」
 何言ってんだ、こいつ。そんな風に眉根を寄せると、元慶應ボーイはとっととエレベーターで自分の部署に向かっていった。ううん。こんなテニス焼けで全身がたまり醬油を刷毛(はけ)で塗ったようになっている奴のことなんてどうでも良い。
 私、『桂馬』の日なのに、動ける。
 前にも後ろにも。何故か。
 答えは余りにも簡単だった。私は、「成った」んだ。嫉妬でおかしくなりそうになって、敵意剝き出しだった私にとって会社が敵の陣地に変わった、それだけのこと。
 私、動ける。敵意さえあれば、『桂馬』の日でも私は動けるんだ。アイスコーヒーの氷みたいに、昂然(こうぜん)とした気持ちがカランと響いた。
 その日から、私は変わった。
『桂馬』の日になっても動けるように、私は絶えず敵意を抱え込むようになった。
 コピー機のトナーを私が換えるまで絶対自分からやろうとしないあの子たちも。書類のホチキスが右留めになっているだけで癇癪(かんしゃく)を起こす先輩も。いつもアトピー性皮膚炎用の軟膏(なんこう)で鈍い光沢を放っている、私と同じ一般職で入った子も。みんな、私を苦しめる、敵だ。そう思い込むことで、私は『桂馬』の日でも会社の中ならほとんど自由に動けた。もちろん自由と引き替えに私の居場所はなくなったんだけど。でも、孤立する前から、そうなる前から私はずっと孤独だった。桂子だなんて、もう誰にも呼ばせない。ずっと眉間に皺を寄せて、先輩からの書類も乱暴に受け取って、睨み付けて、それでもクビにならなかっただけ凄いと思う。意外と懐の深い会社だなって、思わず感謝しそうになり、慌てて目を吊り上げ直す。

 自由を手に入れてから、幾年が経過しようとしていた。すっかり人相の悪くなってしまった私は、金曜日の夜だというのに誰にも誘われることなく家路に就いて、机の上に放置していた公共料金の支払い書の封筒を乱暴に破いていたら珍しく携帯電話が鳴った。
 実家にいる妹からだった。
「お姉ちゃん? 私」
 久しぶりに聞いた妹の声は陶器みたいに無機質に響く。
「あのね、立教大学のオープンキャンパスに行くんだけど、その前に東京観光したくて、よかったらお姉ちゃんの家に泊めてくれない?」。妹。立教大学。東京観光。私。
「別に、いいけど」
 でも、気がかりなことがある。
「何日?」「んーとね、21日」
 明後日(あさって)だ。大丈夫、『桂馬』の周期より少し前だ。
 そうか。妹は大学に進むのか。思えば、十四歳の頃からろくすっぽこの子と会話したことがなかった。東京に来てほとんど帰省もしなかったものだから、会うのは三年ぶりになる。
「聞いてる?」「え? うん、大丈夫。じゃあ、時間とか決めたらまたメールして」
 妹が東京に来る。果たして案内できるだろうか。こっちに来てから彼氏どころか友達もいない私だ。休日といえば、大抵DVDでも観てるか、買いもしない家具のカタログばかり眺めて過ごしている。
 実家にいた頃の私は妹にとって「桂馬、桂馬」とうるさい馬鹿な女だったに違いない。でも、私はこっちに来てから、変わった、はず。会社でも、文字通り前向きになった。カッコいいところ、見せなきゃ。立ち上がると踵(かかと)の汚れたパンプスを履いて、いつも家具のカタログを買っている書店に、若い女性向けのトレンド雑誌を買いに出かけた。

 そして、『桂馬』だ。よりによって、今日。
 せっかく人生で初めてのスイーツブッフェだって予約したのに。だから女の体は当てにならない。結局、例のごとくバスで阿佐ケ谷駅に向かい、そこから電車を使って新宿で乗り換え、渋谷に来た。
 私がわざわざ指定してしまった、ハチ公前。ホップ、ステップ、の少し先。三年ぶりに見る妹がそこに立っていた。あの頃とは違う。女子高生とはいえ、すっかり女に変わっていた。先生に指摘されても天然と言い張れるくらいに緩く脱色した茶髪。私と輪郭がそっくりの丸顔に薄くメークして、あの町に売っていたとは信じられないタータンチェックのハットを被(かぶ)って、小さくこちらに手を振っていた。
「久しぶり」私の声はもう息が上がっていた。
「うん」妹の声からは桂子ちゃんへの憐憫(れんびん)が微(かす)かに感じ取れた。
「本当に渋谷で良い? やっぱり立教なら池袋の方が良かったかな」
「ううん、良いの。池袋は受かってから知ればいいから」
 三年ぶりともなると、どこかぎこちない。
 そして、予想どおりだった。
「桂子ちゃん」で歩く渋谷は困難を極めた。
 一人で歩く時でさえ、人波を避けるのに一苦労だというのに。妹を連れて移動するなんて至難の業、というか無理だった。
「ごめん、パンプス取ってもらえる?」
 スクランブル交差点の真ん中にこの日のために新調したエナメルのパンプスが抛(ほう)りだされてしまった。私は後ろには進めない。
 聞こえは良いが本当に進めない。
 さっきから無言の妹は何も言わずに、パンプスを拾い上げるとややぞんざいに私に押し付ける。
「今日、その日なら最初からそう言ってよ」
 思い描いていた東京観光の出端をすっかりくじかれた妹はため息交じりに私を軽く睨んだ。
「しょうがないじゃない。なる時はなるの、あんただってそうでしょ!」
 結局、私は何も変わってはいなかった。敵の陣地に行けば「成れる」けど、渋谷は会社じゃない。敵がいなければ私はただの「桂子」に戻ってしまう。でも、ブッフェだって予約してしまったのだ。眉をひそめる妹を無視して、センター街を跳び進む。妹は押し黙って、下を向いて、歩幅だけ大きくして私の後ろをついてきた。
「ごめん」って一言いえばそれで、済むのかもしれないけど、どうしてもそれはできない。プライドというか、単純に『桂馬』中のイライラのせいだ。
 目当てのお店が見えてきた。ところが致命的なことに、歩数を間違えたせいでどう頑張ってもその店に辿り着くことができないことが分かった。例の『桂馬』の動きで進んだところで、最終的には隣の雀荘(じゃんそう)に着地する。
「ごめん」ここで、漸(ようや)く後ろの妹に謝った。「お姉ちゃん、間違えちゃった。お金渡すから、あんた一人で行ってきて」
 こういう気まずい時だけ、『桂馬』は便利だ。
 怒っている相手の顔を見なくて済む。
 突然、背中に衝撃が走る。妹が、ハンドバッグを私に投げつけてきた、らしい。
「もう良いよ! お姉ちゃんなんかに頼むんじゃなかった!」
 この言葉に私の「誰も分かってくれない病」が再発した。
「知っていたじゃない! 私が『桂馬』だって! 何なのよ! 分かって頼んだのはそっちでしょ! お姉ちゃんだって、好きで『桂馬』になったわけじゃないんだからね!」
 怒りの余り振り返って、妹の胸元を押す。
 皮肉なことに、私は「成った」。
 あの慶應ボーイの時と同じく、私はついに妹までを敵だと認識したのだった。
 振り返った時の妹は想定とは違い、意外にも今にも泣き出しそうな顔つきだった。
「別に、私ブッフェに行きたかったんじゃない」
 とうとう彼女の眼から涙がこぼれた。
「そうじゃない。別に、お姉ちゃんが『桂馬』だから、嫌なんじゃないの。私はお姉ちゃんの部屋でぜんぜん良かったの。お姉ちゃんと久しぶりに会えたのに、一人でずんずん前に進んじゃって。『桂馬』の日なら、そう言って欲しかった。今日、分かっていれば、私だって渋谷で待ち合わせなんかしなかったよ? お姉ちゃんの家に直接行ったのに。全然、私の顔、見てくれないんだから。三年ぶりなんだよ?」

 濡れた瞳で、妹がまっすぐ私を見つめてくる。あの時と同じ眼だ。
 十四歳の頃、母にやつあたりしていた時に、私を困ったように見つめていた妹のあの眼。妹は別に憐れんでいるわけでも、恥じ入っているわけでもなかったのか。ただ純粋に、私のことを心配してくれていただけだったのか。私の頭から、敵意が消える。また元の「桂子」に戻る。でも、今度は逆。妹が教えてくれた通り。別に、私は無理に動かなくても良いのだ。何だか、笑えてきた。
 笑えてきたら、急にお腹が空(す)いた。
「タクシーで、帰ろっか。家まで」
 そう言うと妹は破顔して、頷(うなず)いた。
「うん。お姉ちゃんは、そこにいて。私が捕まえるから。東京のタクシー」
 妹は大通りに向かってすたすたと前進し始めた。心なしか、スキップしているようにも見える。こんな簡単なことだったのか。姉妹って。ちょうど、妹の前方にタクシーが通りかかる。妹は、手を挙げそのタクシーを捕まえる、かと思えばそのまま直進し始めた。
「どうしたの?」。脇目も振らずセンター街を突き進む妹に向かって私は声を張り上げる。
「ごめん、お姉ちゃん。きちゃった」
「噓でしょ。だってあんたのって」​
 香車(きょうしゃ)じゃないの、そう言い終わる前に妹は人ごみの中へ、猪突猛進。
 初めての東京で敵などいるわけがない妹はスクランブル交差点をひたすら突き抜けていった。


洛田 二十日(らくだ・はつか)

1990年生まれ。新潟県新潟市出身。早稲田大学文化構想学部卒業。東京都在住。
現在、番組制作プロダクションに所属。朝の情報番組のスタッフなど。天久聖一『書き出し小説』『バカはサイレンで泣く』に参加。

受賞のことば

見知らぬ番号からの電話。料金督促に違いないと震えながら応じてみれば、「大賞」という身に余る福音。読んでくださった皆様、審査をしてくださった先生方、あらゆる庶務を担ってくださった方々に、心より御礼申し上げます。無数の「ショートショート」から成る曼荼羅(まんだら)に組み込んで頂いた、この誉(ほまれ)に報いるだけの作品を書き続けねばならない。今、本当に来てしまった督促の電話を決然として無視しながら、固く決心した次第で御座います。

講評

田丸雅智(審査員長)

女性ならではといえる題材に、やや男性寄りの「将棋」という題材を非常にうまくブレンドされており、何の説明もなく急にはじまる不条理な世界なのですが、まったく違和感なく入りこむことができました。随所に光る冗長になり過ぎない程度に肉付けされた描写も絶妙に本筋を盛り上げる役割を果たしており、所々で覗くユーモアも素晴らしく、疑問を差し挟む余地もなく一気に最後まで読まされます。作者が男性と知り、なお驚きました。将棋についての多少の事前知識は必要かもしれませんが、アイデアと筆力の両方が突出した傑作であることに違いはありません。今後、どのようなアイデアで、どんな世界に連れて行ってくれるのか、本当に楽しみです。

キノブックス編集部

主人公のキャラクターが作品を通していきいきと伝わってきた。また、全体を通して常にユーモアが感じられ、終始愉快な気分で読むことができた。女性特有の体調の変化と将棋のルールを組み合わせたアイデアもおもしろかった。おもしろかったが、それぞれの駒になる理由についてもう少し触れてあるとなおよかったか。作者は意外にも男性。「子供の残したプリンアラモードみたいに」ぐちゃつく頭、「アイスコーヒーの氷みたいに」気持ちがカランと響いた、などの表現も女性的と感じたが、読み手に違和感なくそう思い込ませてしまう筆力は確か。ほのぼのとした結末になるのかと思いきや、しっかりユーモアで落としているところも抜け目がなく、これからが楽しみな書き手だ。

過去の受賞作

第2回受賞作

第2回ショートショート大賞の受賞作です。大賞1作品、優秀賞3作品が選ばれました。以下から受賞作を読むことができます。

第1回受賞作

第1回ショートショート大賞の受賞作です。大賞1作品、優秀賞3作品が選ばれました。以下から受賞作を読むことができます。

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