第3回 ショートショート大賞

木下グループ

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第1回大賞

「瓶の博物館」ほり 真潮ましお

 友人に瓶の博物館に行かないかと誘われた。
「瓶の博物館?」
 その時は瓶の博物館なんて、よくある個人のコレクションを展示した小さなギャラリーのようなものだろうと思っていた。
「別に構わないけれど、君がそんな物に興味があったとは意外だね」
 そう言う私に、彼は人差し指を口に当ててさも重大な秘密を打ち明けた時のように笑った。
 その理由がわかったのは、次の晴れた休日に瓶の博物館へとやって来た時だった。
 博物館は最初の想像通り小さな建物だったが、人が次から次へと集まって、まるで今からパーティーでも始まるかのような雰囲気だった。
 友人が入口で招待状を見せると、受付の人がリストバンドを巻いてくれた。
「こちらは館内にいる間必要となるものですので失くしたり汚したりしないよう、お気をつけください。ではいってらっしゃいませ」
 受付の人のお辞儀に見送られて中に入ると、そこには思った通り、多種多様なガラス瓶が綺麗に陳列されていた。
 入ってすぐのところのパネルには館長の挨拶としてのありきたりな文と、そしてこの博物館の楽しみ方が書いてある。

・まずは瓶の形を楽しむ
・手触りを楽しむ
・光を楽しむ
・音を楽しむ
・後は好きなように楽しむ

「どういう事だろうね、これは」
 私は言った。
「手触りを楽しむという事は展示品に触っても良いという事かな。それにしても音を楽しむというのはどうすれば良いのだろう」
 矢継ぎ早の質問に友人は苦笑しながら言った。
「まったく君はせっかちだね。それをこれから説明しようと思っていたのに。例えばこの瓶だ」
 私は友人が指さした瓶の説明を読んだ。
「どうやら外国のビール瓶のようだね。厚みのある緑のガラスで重さもありそうだ」
 友人はそっと瓶を取り上げると私の手に持たせた。やはりここは手を触れても良い博物館らしい。私は手にしっくりと馴染む形と重さをじっくり楽しむと、元あった場所に瓶を返した。
「ではこれからが本番だ」
 友人は瓶にリストバンドをかざすと、私にも同じ事をするよううながした。
 仕方がないので私も同じ事をする。
 するとどうしたことだろう。急に視界が歪んだかと思うと、緑の光の中にいた。
「ここはさっきの瓶の中だよ」
と戸惑う私に友人が言った。
「リストバンドを読み取らせると瓶の中に入ることができるんだ」
 私は上を見上げた。厚めのガラスを通して緑に染まった光が瓶の中を満たしている。なるほどこれが光を楽しむということかと納得した。
「なかなか面白い趣向だね」
と言う私に友人はシッと人差し指を口に当てた。
 何かと思っているとやがて不思議な音が瓶の口の方から聞こえ始めた。最初は聞き取れるかどうかだったが、段々大きくなり、やがてハッキリ聞こえるようになる。
 それは学生時代に聞いていた外国のポップスのような音楽だった。どこかで聞いたことがあるはずなのに、どこにもない音楽。周りの人もみな楽しそうに耳を澄ませ、中にはリズムに合わせて体を揺すっている人もいる。
 私が友人の方を振り向くと、彼はにっこりと笑っていた。

 入った時と同じように瓶にリストバンドを当てると外に出る。
「いや、すごいね。瓶に合わせた音楽まで流しているのかい?」
「いいや。あれは瓶自体が持っている音だ。あのビール瓶は学生の多い街のカフェにあったのだろう。その瓶の形や素材だけでなく、そのものが持つ性質や記憶も知ることができるのが、この博物館なのだよ」
 私はすっかり興奮して、友人の手を引っ張るようにして次から次へと瓶を見て回った。
 穏やかな光に満たされた白ワインの瓶の中では、まだ残る芳醇(ほうじゅん)な香りと室内管弦楽を楽しんだ。バーボンの瓶の中ではジャズが流れ、ブランデーの瓶の中ではピアノの伴奏をバックに女性歌手のハスキーな歌声を、日本酒の瓶の中では粋(いき)な三味線と長唄を堪能した。
 また薄い水色の薄荷(はっか)水の瓶の中では、ガラスの空を見上げながら少女の透明な歌声を、昔ながらのラムネの瓶の中では、動くビー玉のせいで光加減が変わるのを楽しみながらどこか懐かしい口笛を聞いた。
 聞こえるのは音楽だけではない。
 調子に乗って酢の瓶に入ってしまった時はツンとする臭いと、キーンという耳鳴りのような音に慌てて出てきてしまったし、分厚い藍色の薬瓶の中では周りが見えないほどの暗さの中で静かな祈りの声を聞いた。
「これはまた他の瓶とは違うね」
 綺麗に保管されていたらしい他の瓶とは異なり、何が入っていたかもわからないような平凡な古びた瓶で傷だらけだった。
 中はところどころ傷の作る影が落ち、微(かす)かに潮の匂いがした。そっとガラスをなぞると指先が白い砂でざらつく。
  他の瓶と同じように口の方から音が降りてくる。それはどうやら朗読で、読み上げられているのは行方知れずになった不実な恋人に宛てて切ない想いを綴(つづ)った恋文だ。言葉はわからないのに、瓶に託して流された悲しみが胸に迫り、不覚にも泣いてしまいそうになった。実際同じ瓶の中にはハンカチで涙を拭っている女性も何人かいた。

 展示してある瓶を一通り回って博物館を出る頃にはすっかり夕方になっていた。
「今日は良い所へ連れてきてくれてありがとう」
 私は興奮気味に友人へ礼を述べた。
「いや、本当に素晴らしかった」
「どういたしまして」
 友人は微笑(ほほえ)むとポケットから一枚のチケットを出した。
「よければどうかな」
「なんだい?」
 私は彼の手からチケットを受け取った。
 それは音楽会のチケットのようなデザインで、深い赤の紙に金色で文字が打たれていた。
「この博物館で今度催(もよお)しがあるんだ。館長が珍しいワインを手に入れたとかで、月光の下でそれを開け、飲み終わった後は瓶を楽しむという趣向だよ。これはその招待券」
「それはとても面白そうだ。もらっても良いのかい?」
「ああ、是非(ぜひ)どうぞ」
「ありがとう」
 私は失くさないよう大事にチケットをポケットに入れた。

 それからというもの、催しものの日が待ち遠しくて私はワクワクしっぱなしだった。
 開場は夜だというのに、昼間から髪を整え、正装した姿を何度も鏡に映しては、おかしい所がないか見直したりしていた。
 時間が来て外に出てみると、お誂(あつら)え向きの美しい夜で、空には大きな満月がぽっかりと浮かび、吹く風も心地よかった。
 会場のあの博物館には自分と同じようにソワレの催しにふさわしい装いの男女が期待に顔を輝かせて集まっていて、その中には私の友人もいた。
「やあ。今日は素敵な夜だね」
「ああ、素敵な夜だ」
 簡単な挨拶を交わして中に入ると、綺麗に磨(みが)き上げられたグラスが並べられたテーブルがあり、その隣のショーケースの中には噂のワインが収められていた。
 時間が来ると照明が落とされ、ここの館長だという男にスポットが当たる。
「皆さん! ようこそいらっしゃいました」
 館長はにこやかに手を広げた。
「今日はお集まりいただきありがとうございます。さてこのワイン、一族で飲む分しか生産されないため年間数本しか外へは出回らない稀少(きしょう)なものですが、今回は同じ瓶マニアということでワイナリーのオーナーから特別に譲っていただけました。皆さん、今宵(こよい)は心ゆくまで楽しみましょう!」
 館長がワインを掲げると盛大な拍手が起こる。
 渡された瓶の栓が抜かれ、グラスに注(つ)がれるまでのソムリエの手際の見事さから始まって、その色も香りも人を酔わせるのには十分だ。
「乾杯!」
 馥郁(ふくいく)たる果実の香りが口から鼻へ抜けたと思うと、それはやがて木漏れ日の射す森のような豊かで複雑なものへと変化する。
 こんな素晴らしいワインを閉じ込めていた瓶はどれほどの夢を私達に見せてくれるのだろうか。 
 グラスが回収され、客が順番に瓶の外観を愛(め)で終わると、再び館長が現れた。
「いかがでしたか?」
 最初よりも大きな拍手が起こると、館長は満足そうにうなずいた。
「では皆さん、参りましょう」
 緑のガラスを通した満月の明かりと中に残る香りが私達をさらに酔わせ、うっとりと目を閉じて耳を澄ませると、やがて音が降りてくる。
「アリアだ」
 瓶の中は一瞬ざわめいたがすぐに静かになった。皆美しい歌声に聞き入る。
 辺りを満たしていたソプラノが最高潮を迎えコロラトゥーラに入る。ガラスを震わせるほどに冴え渡る月の女王の高音。至高の歌声が私達を天上へと導かんとしたその時、パアンという音とともに緑色の光の世界が壊れた。
 どうやら超高音の振動に瓶が耐えられなくなったらしい。
 後はガラスの破片がバラバラと飛び散った床の上に、すっかりワイン臭くなった人々が呆然(ぼうぜん)と立っているだけだった。


堀 真潮(ほり・ましお)

甲南大学文学部卒業。夫と息子二人の四人家族。
2015年10月、伊勢丹OTOMANAの田丸雅智氏によるショートショート講座に参加し、初めてショートショートを書く。現在の目標は、略歴に載せられるような作品を書くこと。

受賞のことば

この度は栄えある賞をちょうだいし、感謝と喜びの気持ちでいっぱいです。
まずは執筆に協力してくれた家族、パソコンが苦手なためにご迷惑をおかけしてしまった賞のスタッフの方々、そして私の作品を選んでくださった皆様に改めて御礼を申し上げます。
正直、この年齢になってこのような人生の転機が訪れるとは思いませんでした。戸惑いがないと言えば噓になりますが、与えていただいたチャンスはしっかり活かしたいと思いますので、宜しくお願いします。

講評

田丸雅智(審査員長)

読後、唸るよりほかありませんでした。どんどん引き込まれ、圧倒的な世界観に酔いしれ、クライマックスでぞわっとし、夢から覚めたあとも美しい余韻が長く残りました。次々に繰り出されるアイデアとその描き方も秀逸で、作品の雰囲気を盛り上げるのに効果をあげています。文章に初々しさは残りますが、登場する固有名詞をたとえ読者が知らずとも、想像で補えるようきちんとフォローされているあたりに、とても好感が持てます。作者が豊かな人生を歩まれてきたのであろうことは明らかで、他の作品も十分に書けるはずだと確信しました。今後、どういった作品を読ませてくれるのか、楽しみでなりません。

キノブックス編集部

まずは作品全体に漂う幻想的な美しさに強く心惹かれました。さまざまな形や色をした瓶が、置かれていた場所の空気を記憶にとどめていて、鑑賞者は内部に入ることでその記憶を音とともに追体験できるというロマンチックな発想は秀逸でした。また、瓶の中に入る方法がリストバンドをかざす、というのも今の時代ならではで違和感なく受け入れることができ、本当にあるのではないかと思わせ、読み手にフィクションということを忘れて物語に集中させる助けとなっています。「薄荷水」、「深い赤の紙に金色で文字が打たれ」たチケット、「音が降りてくる」など、作品全体の雰囲気を壊さぬよう、選ぶ言葉や表現にも細部まで配慮が行き届いているなと感じました。ただ、オチとなる最後の一文については世界観を守るのか、あるいは壊すのか賛否が分かれましたが、群を抜いた美しいアイデアを重視し、最終的には満場一致の選出となりました。

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第2回受賞作

第2回ショートショート大賞の受賞作です。大賞1作品、優秀賞3作品が選ばれました。以下から受賞作を読むことができます。

第1回受賞作

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