第3回 ショートショート大賞

木下グループ

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過去の受賞作

第2回優秀賞

「ヤンタマ」長野ながの 良映りょうえい

 指定された時刻は夜中の二時だった。
 夏の夜のまとわりつく空気の中、僕は野球場に到着した。球場の照明は点灯されておらず、周りの外灯だけが目印だ。門は開かれており、進んだ先にはグラウンドが広がっていた。
「おう、来たな」
 男の声が耳に届いた。相変わらず暗かったが、月の光のおかげで物の輪郭はぼんやりとわかる。注意しながら声のする方に向かうと、その男が立っていた。背は低いが背筋がぴんと伸びている。土で汚れて年季の入った黒の作業服に身を包み、腕組みしていた。彼は、片岡だとそっけなく名乗った。
 せっかく就職した銀行の激務に耐えられず四年で辞め、アルバイトで食いつないでいた僕に叔父が仕事を紹介してくれたのだった。
「もし夜中が大丈夫ならやってみないか」
 高校の野球部の監督をしている叔父が示した時給は、深夜の仕事ということもあって割高だった。夏の甲子園大会の県予選期間中に行うグラウンド整備の仕事だという。
 グラウンド整備を夜中にするなんて知らなかったが、夜に仕事をするのは銀行のときには何度もあったことで慣れている。それに、夜に稼ぐことができれば昼に時間が空き、就職活動に充てることができる。
「言ったものはちゃんと用意してきたか」
 暗がりから片岡が聞いた。
「はい。持ってきました」
 ヘッドライト、虫捕り網、虫捕りかごを準備するように言われていた。よくわからなかったが、とりあえずホームセンターで揃えてきた。
 リュックから出したものを片岡が手にとって調べる。
「いいだろう。まずはこいつにライトをつけてくれ」とヘルメットを渡してきた。
 言われるままにライトを装着してヘルメットを被(かぶ)り、片岡を真似て虫捕り網を手にした。ここまで来てもこれから何をするのかわからなかった。
「あの、グラウンド整備の仕事と聞いてきたんですけど」
「そうだ」
「野球にはあまり詳しくないんですが、先が三角形になった棒みたいな道具で土をならすのをグラウンド整備っていうんじゃないんですか?」
「トンボのことか。あれは使わない」首を振った片岡は、僕の前に虫捕り網をぐいと近づけた。「使うのはこいつだ」
 どういうことだろう。状況に頭が追い付かない僕に構わず、片岡は自分のヘッドライトのスイッチを入れ、歯医者がやるように顔を覗(のぞ)きこんできた。
「照明はつけないんですか。足元がぜんぜん見えないじゃないですか」
「見る必要はない。このライトだけで十分だし、明るすぎると仕事にならない。まず手本を見せるからそこで見ていろ」
 言い残すと、片岡は僕らが立っていたホームベースのあたりから一塁方向にダッシュした。ヘッドライトの明かりを頼りに彼を観察してみると、一塁ベース付近で網を振り回している。動作が止(や)んだところでまた戻ってきた。相変わらずにこりともせず、捕まえたものを逃さないように、網を袋状につかみながら僕に見せてきた。
「これを捕まえるのが仕事だ」
 おそるおそる見てみると、拳(こぶし)程度の大きさで、水色で透明な丸い光がゆらゆらと浮かんでいた。動物ではない。虫でもない。この世のものとは思えない……もしかして、人魂?
 ひいっ、と後ずさる僕に片岡は薄笑いを浮かべた。ヘッドライトのせいで顔の陰影がよりはっきりして不気味だ。
「まあ初めてじゃさすがに驚くか。危害を加えたりはしないよ。幽霊じゃないから安心しろ」一転していたわるような口調に、腰から砕けそうになる。
「幽霊じゃなかったらこれは一体何なんですか」
「正式な名前かどうか知らないけど、先輩からは野球魂って教えられたな」
 やきゅうだましい、だと長いから「ヤンタマ」って呼ぶのがこの業界じゃ普通だけどな、と片岡が付け足した。片岡の言葉が頭に入ってこない。
 野球の用語は英語と日本語がある。バッターと打者。ピッチャーと投手。
「アウトになることを、日本では『死』ということもあるだろ。ワンアウトだったら一死、ツーアウトなら二死って具合にな」
 片岡は淡々と説明する。
「それがさっきの人魂とどう関係するんですか」
「アウト、つまり死によって残った怨念みたいなものがさっきのヤンタマなんだよ」
 さらに片岡が言うには、ヤンタマが残されるのにも条件があるのだそうだ。通常、野球は一回の攻撃につき三つのアウトをとられると攻守交替する。試合は九回までなので、アウトの数は一チームで二十七。延長がなければ二チームで合計五十四のアウトが一試合でカウントされることになる。
「その中でも、惜しいアウトや、緊迫した場面でのアウトはヤンタマになりやすい。選手だけじゃなく観客の悔しさもまとまり、一つになって残ってしまうんだろうな。いまこの球場で甲子園の予選やってるだろ、たくさん悔しがるからヤンタマもたくさん残ってしまう」
 しみじみと片岡が呟(つぶや)いた。
 彼の言葉に噓は感じられなかった。無愛想ではあるが、丁寧に説明する口調からは誠実さもうかがえる。だが僕は人魂のような青い光、片岡の言うヤンタマの存在を受け入れられなかった。潑剌とした野球のイメージとはどうしても結び付かないのだ。
 そのとき、僕の目の前にあの青い光がちらついた。
「も、もしかしてこれも」
 喉まで出かかった叫びを必死に吞み込んだ。
「これはちょっと変わったやつだ。ピッチャーが投げたボールがバッターに当たるのをデッドボールというが、日本ではそのまま訳して『死球』っていうだろ。これも『死』だな。あまりに痛いと当たった選手の思いがこうして残ることがある。普通のヤンタマより大きいのが特徴だ。さしずめ頭にでも当たったんだろう」
 次から次へと正体不明なものが出てくる。高い時給に目がくらんで引き受けてしまったが、こんな幽霊まがいのものが関係しているなんて、もしかして恐ろしい仕事なのではないか。
 ヘッドライトの下で顔が青ざめていくのがわかったのか、片岡が一笑した。
「安心しろ。深夜ならこいつらは安全なんだ。俺たちの仕事は回収することだけだ。こまめに集めないと増えてしまうからな。ヤンタマについては科学的にも不明な部分が多い。それに幽霊と間違える奴ばかりで大っぴらにできないから、目立たないようにするには作業をこの時間にする必要がある」
「深夜なら安全ということは、それ以外は何かしら影響があるんですか」
「ヤンタマの根源は選手だから、野球に参加しようとするんだ。バウンドを変化させたり、風を吹かせてボールの飛距離を伸ばしたりする。本当にグラウンドの状態や自然の力によって偶然起こったことならいいが、それが重なると試合にならない」
 ただ野球が行われるだけの場所と思っていたのに、こんな裏があるなんて知らなかった。
「でも、野球魂……いや、ヤンタマは自然に発生したものですよね。どうしても捕まえなきゃいけないんですか?」
 ふと生じた疑問をぶつけると、片岡は何度も首を縦に振った。
「当然だ。偶然ばかりが左右する競技になれば、つまらないから野球をする人が減る。そうなれば野球のレベルが落ちる。テレビの中継もなくなる。野球ファンの楽しみがなくなる。日本の娯楽がなくなる」
「はあ」
 僕は野球のルールを知っているくらいで熱心に観たことはないのだが、野球好きな父や友人たちの熱狂ぶりはすごいものがある。スポーツニュースも野球の話ばかりだ。片岡の話は飛躍が過ぎるように感じたが、空論と吐き捨てるほどではないのかもしれない。
 ヤンタマの謎は深まるばかりだが、ここで考えてもどうしようもない。害はないと片岡も言っていたし、あまり深入りしすぎず仕事をしてしまおう。
「さっき片岡さんがやって見せてくれたように、網で捕まえるんですか」
「自作で道具を用意してくる整備員もいるが、俺はいつもこれでやっている」
「ヤンタマ捕獲用の機械とかは作られないんですか。そうしたら便利なのに」
「ニッチな業界だからな。各自の工夫で乗り切っているというわけだ。利益もほとんど出ないから進出する企業もない」
 さっきは日本の娯楽にまで話を広げたのにニッチと言い切るのはちぐはぐな感じで騙された気分になる。だが一つの物事に表と裏があり、裏の方にまでお金が回ってこないことはどの業界にも存在する。
 彼の指示で、球場の左半分を僕が担当することになった。
「たまにすばしっこいのがいることはいるが、基本的には浮かんでるだけだ。網で捕まえて、かごに入れてってくれ」
 言い終わると、片岡はさっさと持ち場に行ってしまった。
 もうこうなったら早く終わらせてお金をもらって帰ろう。そう決意して三塁ベースに近づくと、先ほどちらついたものより小さいヤンタマがふわふわと浮かんでいた。
 ゆっくりと距離を縮めていき、思いきって網を振り下ろす。手応えはまったくなかったが、ヤンタマは網の中にいた。
 片岡の言うとおりヤンタマはおとなしく、捕まえられたことすらわかっていないようだった。逃げないように網を一回転させてからそっとかごに滑り込ませた。
 かごをのぞき込むと、静かに燃えているように見えて、怖くなくなってきた。それどころか闇夜にぼんやり浮かび上がるそれは、か弱く見える。
 捕まえていくうちに、ヤンタマはそれぞれが異なる特徴をもつことがわかってきた。片岡の言っていたすばしっこいヤンタマは二塁と三塁を行ったりきたりしていた。その動きからすると、盗塁をしようとして失敗したもののようだ。ヤンタマはこちらの動作を認識しているわけではないようで、ヤンタマが再び盗塁を試みようとしたところを三塁で待ち構え、網でやさしく迎え入れた。やはり抵抗はなかった。
 それからの作業も順調に進んだ。ヤンタマがプレーを模倣していることをつかめば、多少すばしっこくても次のプレーを予測することで捕獲することができた。行動を観察し、推測し、網を振る。噴き出す汗も気にならなかった。ヤンタマとともに野球をしている錯覚にさえ陥った。途中からは網を使うのはやめ、両手で包み込むようにして集めていった。愛着のようなものを感じたからなのかもしれない。一時間ほどが経ち、かごがいっぱいになったところでホームベースに戻った。
「初回でそれだけ捕まえられれば上出来だな」
 片岡はにんまりしていた。
「最後の作業だ。ヤンタマを埋めるんだ」
「どこにですか」
 当然のように指し示したのはピッチャーが投げる場所、マウンドだった。
「球場の外に逃がしたりはしないんですね」
「昔はそうしていたらしいが、外に出ればまた違う球場を求めてふらついてしまうらしい。それでは意味がないから、いつからか埋めるようになったんだと。他でもないマウンドに埋めれば、翌日にはなくなるんだ。『土に還(かえ)る』って言い方するだろ。ヤンタマはグラウンドに還るんだ」
 マウンドに二人で向かい、シャベルで土を掘り起こして四角く整えると、かごからヤンタマを取り出して並べた。逃げようとはしなかった。また土をかぶせ、元のようにならしていく。
 作業を終えると、片岡は立ち上がって頭(こうべ)を垂れ、祈るような姿勢をとった。僕も慌てて動作を真似る。いきなりの行動に驚いたが、とても自然なことに思えた。
 その日のバイト代を僕に手渡したあとに片岡が言った。
「野球のマウンドが周りに比べて高いのは、ピッチャーが投げやすいように角度をつけるためもあるが、ヤンタマを埋めていくごとに自然に高さが増していってしまうんだ。それに、ヤンタマの力が伝わるからなのか、ときおり何かに憑(つ)かれたような力を発揮するピッチャーもいる。マウンドが神聖だと言う奴もいるが、この仕事をしてるとあながち間違っちゃいないと思うね」
 夏の朝日が顔を出してきた。別れ際、途中からは網を使わなかったことを伝えてみると、「最初なのにそこまでいくとは筋がいい。本当に初めてなんだよな。あんた、甲子園めざせるよ」と片岡は褒めちぎった。仕事のことで久しぶりに褒められると、思いがけず心が浮き立った。
「それってどういうことですか。もちろん選手としてではないですよね」
「高校野球の頂点が甲子園であるように、この業界でも甲子園の整備が頂点なんだよ。選ばれた者だけがあそこの整備を任されるんだ」
 片岡の口調が今までになく熱くなった。
「へえ、でもやることはさっきの作業と同じですよね」
「ヤンタマを捕まえるのは同じだが、もうひとつ重要な仕事があるんだよ。甲子園には魔物が棲(す)んでるって言葉、聞いたことないか」
「あります」たしか、高校野球で奇跡のような逆転劇が多いことや通常では考えられないプレーが起きることから、いつしか言われてきたフレーズだったと思うが。まさか。
「そのまさかだ。魔物の捕獲も仕事なんだ。最初の大会から甲子園に棲みついていたらしい。放っておくと魔物がどんどん増えていってしまう。そいつらはヤンタマよりいたずら好きだから全て捕まえなきゃいけない。整備員の中には劇的な試合見たさにわざと魔物を見逃している奴もいるらしいがな……」
 


長野 良映(ながの・りょうえい)

1987年生まれ。神奈川県立川和高校、早稲田大学法学部卒業。
中学生のとき、星新一「午後の恐竜」に衝撃を受けてショートショートを乱読。高校では吹奏楽部、大学ではオーケストラでホルンを担当し、熱中する。就職後、小説を書こうと思い立つ。妻と2人暮らし。趣味は妻とクイズ番組を視聴すること。

受賞のことば

優秀賞の受賞、大変うれしく思います。ご評価くださった審査員の方々をはじめ、この賞をスムーズに進行してくださった事務局の方々に感謝申し上げます。
子どもの頃から、ふと浮かんだ空想を口にしては周囲を戸惑わせることの繰り返しでしたが、そんな空想の一つがこのように評価されて感慨深いです。的確な感想を述べてくれた妻、家族にも感謝します。

講評

田丸雅智(審査員長)

個人的には一番楽しませていただいた作品かもしれません。まず、野球の「死」を実際の死と掛けたアイデアが秀逸で、そこからのアイデアの広げ方も素晴らしいです。野球というテーマゆえに好みが分かれる作品かとは思いますが、ハマればシビれるほどおもしろく、そこここに漂うユーモアセンスもたまりません。ぜひ他の作品も読ませていただきたいと思いました。

キノブックス編集部

野球がテーマなのに試合の様子や選手の心理描写などは一切出てこず、意外なところに目を付けている。野球好きならきっと無条件で気に入ってしまう作品だろう。タイトルにもなっている「ヤンタマ」というネーミングもかわいらしく、だんだんその存在が愛おしくなってくる。一死、二死、死球などの野球用語を使うアイデアのほか、マウンドの形や甲子園のジンクスの生かし方もうまかった。特別なインパクトはないのにこうして最終選考まで残り、受賞に至ったのは心に届く何かがあったのだろう。この書き手も、これからどんな作品を読ませてくれるのか楽しみだ。

過去の受賞作

第2回受賞作

第2回ショートショート大賞の受賞作です。大賞1作品、優秀賞3作品が選ばれました。以下から受賞作を読むことができます。

第1回受賞作

第1回ショートショート大賞の受賞作です。大賞1作品、優秀賞3作品が選ばれました。以下から受賞作を読むことができます。

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