ショートショート作家・田丸雅智がショートショートの魅力に迫るラジオ番組、
InterFM897「ショートショート・デイズ」。
ここでは、番組の中で放送したラジオ版ショートショート講座から生まれた作品をお楽しみいただけます。
今回のゲストはきのこ帝国のボーカル・ギターの佐藤千亜妃さん。
小さい頃から本を読むのが大好きで、中学時代は太宰治やヘルマン・ヘッセの作品を愛読していたそうです。
もちろん星新一さんのショートショートもたくさん読んでいたとのことで、
田丸さんとの対談も大変盛り上がりました。
きのこ帝国のヴォーカル・ギター。2007年に佐藤千亜妃(Gt,Vo)、あーちゃん(Gt)、谷口滋昭(Ba)、西村“コン”(Dr)で結成された4人組バンド。2008年から本格的にライブ活動をスタートする。2012年5月にDAIZAWA RECORDS/UK.PROJECT inc.よりDebut Album『渦になる』を発売、2014年10月にリリースした2nd Full Album『フェイクワールドワンダーランド』が第7回CDショップ大賞2015に入賞し話題に。2015年4月にシングル『桜が咲く前に』でユニバーサルミュージックよりメジャー・デビュー、11月11日にメジャー1stアルバムとなる『猫とアレルギー』をリリースした。2016年3月よりワンマンツアー『きみと宝物をさがすツアー』がスタート。
きのこ帝国オフィシャルHP:http://www.kinokoteikoku.com/
1987年、愛媛県生まれ。東京大学工学部、同大学院工学系研究科卒。2011年12月『物語のルミナリエ』(光文社文庫)に「桜」が掲載され作家デビュー。12年3月には、樹立社ショートショートコンテストで「海酒」が最優秀賞受賞。新世代ショートショート作家の旗手として精力的に活動している。著書に『夢巻』『海色の壜』(出版芸術社)、『家族スクランブル』(小学館)、『日替わりオフィス』(幻冬舎)、児童書に『珍種ハンターウネリン先生』(学研教育出版)がある。
そのバンドのギタリストは、変わった男だった。生まれつき、ギターに触れるとアレルギー反応が出る特殊な体質だったのだ。にもかかわらず、彼はギターをこよなく愛した。幼少期に聞いたバンドの音が耳から離れず、どうしてもギターを手にせずにはいられなかった。それゆえ彼は、アレルギーと共に音楽を極める道を歩むことになる。
アレルギー反応の度合は、ギターの種類によってちがっていた。アコースティックギターだと軽度だが、エレクトリックギターの場合は症状が重い。そんな中、彼は迷うことなく後者を選んだ。優先すべきは自分の体質なんかじゃない。己の心が求める音楽だ。彼はそう決断し、特にフライングVで音を奏でることを好んだ。
一度アレルギー反応が出てしまうと、その影響は全身にまで及ぶ。皮膚に症状が出るのだが、かゆみも痛みも一切ない。症状の出方がふつうの場合とはちがっていた。ギターに触れると全身の皮膚がぐにゃぐにゃと変形し、まるで別人のようになってしまうのだ。
事情を知るバンド仲間は言った。
「おまえは、いいよなぁ。ギターを持つと、見違えるようにカッコよくなるんだから」
実際、仲間の言う通りだった。彼はギターを持つと皮膚が変形するが、それは決して悪い方向にではない。世間的な基準で見ると、じつに素晴らしいルックスへと変貌するのである。
だが、彼はそれをよしとしなかった。
「おれは見てくれを売りたいんじゃない。音で食っていきたいんだ」
ただ、そんな主張も虚しく終わる。周囲はそのルックスを放ってはおかなかった。たしかに彼の楽曲は優れていた。が、世間が取りざたするのは、いつもルックス。彼はまたたくまにスターダムにのし上がり、名のあるギタリストの一人となった。
本来の自分でいられるのは、ギターを手にしていないときだけだった。ギターを手放しさえすれば、本当の自分のままの姿でいられる。その事実に苦しめられ、何度もギターを置こうとした。しかし、彼はスターであることを義務づけられた人間だった。いまさら音楽をやめることなど、周囲が許すはずもなかった。
彼の人気は歳月を経ても衰えず、やがてバンドは国民的なそれと呼ばれるまでに成熟した。
彼のことをよく知らない関係者は、首をかしげたものだった。
あの楽屋にいる男は、いったい誰なんだろう。そして、あのギタリストについてもだ。彼は、いつの間にかステージに現れていて、気がつけば消えてしまっている……。
噂が噂を呼び、彼はまさしく伝説の人となっていった。
*
日本武道館の近くでは、夜になると風変わりな老人が路上へ弾き語りにやってくる。
彼は白い手袋をつけて演奏するので、道行く人から『ホワイトグローブ』という愛称で親しまれていた。しかし、なぜ彼がわざわざグローブをつけているのかは、誰も知らない謎だった。
グローブをつけたままで、ギターがうまく弾けるはずがない。だから、老人の技巧的な手つきとは対照的に、奏でる音はかすれて、鈍い。
が、老人にとって、そんなことはどうでもよかった。
何にも代えがたい、至福のひととき。
人目を気にせず思う存分、彼本来の自然な姿で音を奏でられるのだから。